ON THE ROAD 2001
"THE MONOCHROME RAINBOW"

TOUR REPORT

沖縄・コンベンション劇場('00.5.17)


今日は朝から雨模様で、こんな日は省吾は気が重くなってるのかなぁ・・・と考えていました。
せっかく沖縄までやってきたのですが、那覇からも離れてるし、車もないし、ホテル内でのんびりして、
あとは、近くのコンビニへ行って、外で昼食食べて、それからホテルの部屋に戻って、
私はネット、主人は昼寝というなんともぜいたくな時間の使い方をしてしまいました。

2時ごろから雨がやんで、4時前になってふと外を見ると、陽も少しさしていたので、
バルコニーに椅子を持ち出して、そこでMP3(もちろん省吾の曲)を聴いて、ひなたぼっこ。
5時45分ぐらいにホテルを出発しました。

いつもは、会場の写真なんて撮らないのですが、遠くまで来たということで、
明るいうちに記念に1枚、コンベンション劇場を撮りました。

会場へは6時5分ぐらいに到着したのですが、まだ開場されていませんでした。
でも、まもなく開場となり、今日は昨日よりももっと後ろ、後ろから2番目の
端から3番目という席に座りました。ステージからそんなに遠くはないんだけど、
上に2階部分が重なってるので、そういう意味でイマイチの席かもしれません。

開場も少し遅れましたが、開演も10分ぐらい遅れたでしょうか・・・。

今回のツアーのステージセットなど共通部分は、昨年秋・冬の最初のレポート三郷のところを 読んでくださいね。

(このレポートは、コンサート中に暗闇の中紙面を見ずにペンを走らせてメモしたものを
元にして書いていますので、文末なんかはアレンジされていることも*たくさん*あります。^^;)



オープニング-----ALL YOU NEED IS LOVE-----

1 モノクロームの虹

今日の省吾の服装は、白のシャツに黒のパンツでした。
オペラグラスでよーく見てみると、細い線で格子柄になっている方のシャツでした。

2 Hello, Rock & Roll City
3 今夜こそ
4 恋は魔法さ

2コーラス目で、省吾は頭の中が真っ白になったように、歌詞がしばらく出てきませんでした。
ちょっといつもより長めだったかも。
で、会場内はいつものように、「わーっ」と歓声(?)が 上がっていました。

5 MAINSTREET

ここらでちょっと腰掛けて。年齢層広そうだし。(笑)

久しぶりに沖縄に帰ってこれました。前回沖縄に来たのは、1997年の2月5日、6日だから、
3年3ヶ月ぶりです。この2日間、こんなにたくさんの人が集まってくれて、感謝しています。
今日、開演が遅れたのは、僕のせいではありません。皆さんのせいです。
トレーラーの人に、沖縄の県民性とは?と聞いたら、「んー、のんびりしてるかなー」という答えでした。
「沖縄タイムってのがあるしねー」って。今日は、のんびりやりたいと思ってます。

今日、初めて来てくれた人いる?はじめまして、浜田です。こんなやつです。想像どおりでしょうか?
何度も来てくれてるって人は?
じゃ、内地から来たって人はどれくらいいる?(やっぱり、あんまり多くない)遠くからありがとう。
昨日も来たって人は?1割ぐらいかな?昨日は昨日、今日は今日です。
同じ話をするかもしれませんが、 同じところで笑うように。

空港すごい新しくなったねー。(さっそく同じ話で、笑いが起こった)
あのバスの待合室のような空港が好きだったんだけど。
でも、みんなは変わってないよね?(会場から、省吾も変わってない?!)
かわってないよ、3年3ヶ月年をとったぐらいかな。(会場から、足も怪我した〜!)
足の話は、後でゆっくりね。

6 もうひとつの土曜日

やっぱり沖縄のコンサートは特別な気持ちになるよね。第一、そんないつも来れないでしょ。
11トン車何台も船に乗せて来れないし。だから、来たからにはいいものをやりたいなと思ってます。
前回のツアーは、体育館クラスのコンサートで、コンベンションセンターでやろうと思ったんだけど、
入りきらなくて、客席よりステージの方が大きくなってしまう状態で、それで、ここで照明と音楽だけで
やりました。今回は、いつもやってるレギュラーなものを持ってきたので、
何の気兼ねもなくできるし、嬉しく思っています。

沖縄には想い出がいっぱいあるんだよね。80年に労働福祉会館、今でもあるかな?
そこで20年前に、100人か200人のお客さんの前でやったのね。で、終わった後、
外に出たら、女の子が待ってて、飯を食べに行こうってステーキか何か食べに行って。
今からすると、すごいよね。今はそんなことできません。
で、ディスコで踊って、そして最後はある女の子と2人きりになって・・・何もなかったんだけどね。
で、朝まで一緒にいて・・・何もなかったんだって。朝まで起きたままで、帰って羽田に着くと、
母が危篤だと連絡が入って、そのまま広島の病院へ行って、危篤の母親の横で酔いが覚めずに
寝ていたと言うバカな息子で。でも、そのときの気持ちは、とってもギルティで、罪深い気がした。
でも、これは悲しい話じゃないんだよ。母は今も健在なんで。

86年のJ.BOYツアーの最終日も確か沖縄で、タイガービーチってあるでしょ?そこで、最後だから、
わいわいやって、最後に俺だけが海に投げ込まれたの。

初めて沖縄に来たのは、74年で、返還後まだ1年半の頃でした。
確か、まだ車は右側を走っていて、お金も円でもドルでも使えました。
コザの体育館で南こうせつとかぐや姫とか< 吉田拓郎とか、
・・・今もいらっしゃいますけど・・・のステージのバックで。
当時俺は、ドラムをたたいてたんだけど、暑くてその上後ろにこーんな大きなライトがあってね、
俺の周りだけ45度くらいになってました。で、リムに汗がたまって、たたくたびにペチャペチャって
俺の汗が飛び散って・・・
沖縄にはこんな楽しい思い出があるという、浜田省吾の沖縄物語でした。

この26年間、パートナーでやっている町支寛二くんです。俺たちはレコードデビューして、
5月でちょうど25周年だったんだけど、ここまでやってこれたのは、ひとえに俺の才能のおかげです。(笑)
俺たち、当時21歳、22歳だったけど、ファーストデビューシングルを
町支くんの多重録音の アカペラと共に贈ります。

7 二人の夏

もうすぐサミットだね。どうするのあの首相。延期してもらったら?

そろそろ足の怪我の話を避けて通ることはできないから・・・。
黒磯で右ひふく筋部分断裂、つまり肉離れになって、医者から1ヶ月か2ヶ月は
踊ったりしてはいけないって言われてます。
せっかく沖縄まで来てるのに、スピードに負けないようなダンスをお見せできません。
でも、最近の若い人は踊りがうまいのはわかってますから、みんなが踊って、
僕はボーカリストに徹したいと思っています。
若い人(○○の××くんみたいな・・と沖縄出身のグループ名を言っていた。)だったら、
結構がんばってるなって言って貰えるのに、 この年になると、
やっぱり無理してたんだって言われるから悔しい。でも、結構当たってるかなって
思えるところもあるんだけどね。
というわけで、華麗なステップはお見せできません。歩くぐらいはできるんだけどね。

今日、俺と同じ40代の人ってどれくらいいる?俺たちがんばってきたよね。
じゃ、50代の方は?いろいろ迷惑かけてます。(笑)
10代の人は?4人。ヒットチャートに入ってこないはずだ・・・。でも、音楽センス抜群だよね。
誰の影響で聴き始めたのか・・・きっとお母さんかお父さんだよね。
20代の人は?いいねー、若くて。踊ってもふくらはぎ痛めないんだろうね。
30代の人は?団塊の世代がいろいろやったツケがきて、大変なときだね。リストラされた人とかは?
幸いいないようです。

次に聴いてもらう曲は、10代の人は生まれてなかった、20代の人もまだベイビーだった
1981年に作ったの「愛の世代の前に」というアルバムから。
そして、その次の曲は、まだ古くて1978年、22年前のイルミネーションからです。
気に入ってもらえたら、嬉しいです。

8 愛という名のもとに

9 片想い

(会場からの、しょうご〜 の声にあわせて、小島さんがピアノで音を出す)
続けて、あと2人ぐらい繰り返したあと、小島さんのピアノのアドリブに省吾のギターが絡んでくる。)
琉球音階で、ブルースやるとどうなる?(と、急に小島さんにふる)
「ははは・・・急にふっちゃうんだよね。」と小島さん。
ちょっとやってみて、「ごめん。ははは・・・。」

何でも弾けちゃうんだよね、小島くん。じゃあ、琉球音階でクラシックっぽい曲をやったらどうなる?
(小島さん、なかなかうまくいかず、「ごめん・・・」
今から、ほめたたえようと思ったの、みんなを。テレビで見るだけでなく、今日のメンバーも
日本でトップクラスのミュージシャンたちです。

琉球音階でクラシックっぽい曲やって。(としつこく小島さんに言う省吾。)
(小島さん、やってみるが、やはりなかなかうまくいかず、、「キーボード、福田!」と
次のメンバーの紹介に移っていってごまかしていた。)

福田くんは、ケーブルテレビの音楽の先生もやってます。みたらい先生と言うんだけど、
今日は、みたらい先生に沖縄について語ってもらいましょう。
昨日は、急にふったら、赤外線がどうのってむちゃくちゃな話したんだよね。
(これは省吾の間違いです。昨日福田さんは、紫外線が多くてすぐに焼けたというような話を
したのであって、決して赤外線なんて言ってないんですよ。(^^) )

「はい、今日はね、8時に起きて、タクシーをチャーターして海洋博公演に行って来ました。
85キロぐらいで、途中に「オンナ村」ってあって、聞いただけでドキドキしちゃいました。
どうして行ったかと言うと、そこにはジンベイザメがいるんだよね。大阪にもいるんだけど、
名前はかいくん、海って字を書いて、かいくんって言うの。どっちが大きいかって言うと、
同じぐらいだけど、目が勝ってたね。素朴でした。でも、名前のついてないのが負けてたから、
つけてきました。山ちゃんっていう名前です。」
苗字は八重って言うの?(と省吾がチャチャを入れます)
今、伝わらなかったね。苗字が八重で名前が山。続けて八重山。
「え?八重山?そんな山あるの?」(と福田さん。)

さて、次はバラードなんだけど、どうしてこのざわついた雰囲気を戻そうかと・・・
今から歌う歌は、恋人とドライブに行く歌です。恋人か、いない人は好きな人を思い描いてください。
男の子は女の子のことを・・・。別に男が男でもかまいません。新しい世紀を迎えるんだから、
そんなことどうでもいいです。そして次に、車を思い描いてください。
頭に描いたら、沖縄の美しい海を走っていく、君と君の恋人・・・

10 少年の心


〜movie(祈り)〜


ここから、深いグリーンのシャツに着替えていました。これも格子柄になってたようです。

11 愛の世代の前に
12 BIG BOY BLUES 
13 八月の歌
14 ...to be ”kissin’ you”
15 Money
16 J.BOY
17 家路


アンコール

1 いつかもうすぐ
2 悲しみは雪のように

ここで2曲を入れるのは珍しいですね。沖縄という土地柄、いつかもうすぐを歌いたかったのでしょうか。



アッシュグレイのツアーTシャツに着替えて登場。

3 EDGE OF THE KNIFE
4 土曜の夜と日曜の朝
5 ON THE ROAD


エンディング-----青空-----

この沖縄2日間で一番感じたことは、今まで行ったどの会場とも雰囲気が違うなぁってことでした。
北海道から九州まで行ったことがありますが、この沖縄では、他の地方では
当たり前であるかのように会場全体でやっていることが、全然当たり前じゃないんですよ。
というのは、小さいことだけど、まず省吾グッズ(Tシャツなど)を身に付けている人がすごく少ないこと。
それから、J.BOYなどでこぶしを上げる人が本当にいないこと。

J.BOYも、愛の世代の前にも、ON THE ROADも、手を上げた私は
すごく周囲から目立っていたかもしれません。
それは、最初不思議な感じだったんですが、なぜかそれが新鮮だなぁとも思うんです。
みんながみんな同じことをしないといけないんじゃなくて、
私はそのとき手を振り上げずにいられなかった、でも、他の人は違う・・・
それぞれが自分自身の楽しみ方 ― それをしてたんでしょうね。

('00.5.17)
ON THE ROAD 2001 '01-アリーナツアー-のページへ戻る
ON THE ROAD 2001 -'00 春/夏-のページへ戻る
ON THE ROAD 2001 -'99 秋/冬-のページへ戻る
ON THE ROAD 2001 -'99 春/夏-のページへ戻る
ON THE ROAD 2001 -'98 秋/冬-のページへ戻る
ON THE ROAD 2001 -'98 春/夏-のページへ戻る
省吾のページへ戻る