■ コンサートレポート −日本武道館





20年ぶりの武道館ということで、どうしても参加したかったこの日が
とうとうやってきました。といっても、私は20年前の武道館の日、
すでに省吾の曲を聴いてはいたものの、まだまだ大阪から
武道館まで出かけていくというような状態ではありませんでした。

   会場に到着すると、正面に横長の看板がかかっていました。
「THE SHOGO MUST GO ON AT 武道館」と。
ここでたくさんの人が写真を撮っていました。
その横では、武道館のコンサート用に作られたTシャツを含め
今回のアリーナツアーのグッズが売られていました。
武道館用のTシャツは、白の方は赤い袋に入り、
デニムの方はピザの箱に入れられていました。
個人的には、デザインにあんまり力を入れなかったの?と
思ってしまいました。でも、記念グッズということで、両方GET。(^^;

会場内に入ると、私はアリーナのWブロックだったのですが、
入口入ってすぐのブロックの後ろから2列目でした。
でも、会場が狭いのでステージもそんなに遠くなかったです。
1列4席しかなく、Wブロックは16人。私はPA席のすぐ横で、
通路にはみ出して見ることもできたので、省吾の姿は
ばっちりと見ることができました。

ステージのセットは、アリーナツアーと同じもので、
センターステージはありませんでした。

18時の開演予定3分ほど前に、「THE SHOW MUST GO ON」が
早くも流れ始め、「There's No Business Like Show Business 」
と続き、アリーナツアーと同じ形で始まりました。
そして、省吾の登場もいつもと同じで、ステージ中央から
せりあがってくるのですが、ステージ前方下部から、
スモークがたくさんたかれていました。
省吾は、今日は黒のTシャツではなく、黒の半そでシャツ
(少し艶っぽい生地のもの)を着ていました。


1 青空
2 ...to be "Kissin you"

 「今日はON THE ROAD 2001の打ち上げパーティーみたいなもので、
本当はみんなを招待したかったんだけど、ご存知のように、Road & Skyは
大手とタイアップなどしていません。ということで、会費制のパーティーと
思って、楽しんでください。次は、長年の友達の水谷さんのギターを
フューチャーして贈ります。」


3 GIVE ME ONE MORE CHANCE
4 LOVE HAS NO PRIDE

「次は町支くんのガットギターをフューチャーした曲です。」

 
5 君の名を呼ぶ

今日のこの曲は、バックのスクリーンにテレビの放送で何度も見た
あの花の咲く庭のようなところで歌う映像が流れました。

ここでドラムの長谷部さんをたった2日で曲を覚えてくれたと、
そして、ベースの岡沢さんを毎日コンサートの後で、音のチェックなど
をして、いつもいい状態の演奏をキープしてくれたというような
感じで紹介していました。


6 真夏の路上

 アリーナツアーの最初の頃はやっていた曲で、
久しぶりに聴くことができました。 

7 午前4時の物語
8 あい色の手紙
9 彼女
10 Theme of "Midnight Cab"
11 モノクロームの虹
12 日はまた昇る

 「ここで約15分の休憩をとります。例によって…長いステージに
なると思うので、みんなも、タバコを吸うとか、
トイレに行くとか、何もすることが無い人は、ON THE ROADの
20年間の映像をぎゅっと縮めたものが流れますので、それを
見てください。オレたちもすぐに戻ってきます。」

(休憩)The Document of "ON THE ROAD"

 前半は、海の中道でのA PLACE IN THE SUN の映像から始まり、
昔のステージの映像が少しずつ、ほんとにぎゅっと縮められていました。
映像を見て、みんな一緒に歌い、リズムに合わせて体を動かし、
オーっと手を上げたり・・・。ふと横を見ると、スタッフの人も
同じようにノッていました。
後半は、最近見慣れた2001のツアーの様子の映像でした。

コンサート後半は、アリーナツアーと同じ構成でバラードで始まります。
省吾は、ここでの着替えはありませんでした。


13 陽のあたる場所
14 片想い

「この人のピアノで歌えることを光栄に思います。」と小島さんを紹介。
「おしゃべりしてもいいですか?水谷さんたちも、長くなるから座って。
古村も座って。まず最初に断らないといけないんだけど、
今日は撮影とレコーディングが入ってます。いつかこれが
みなさんのもとに届けられると思います。みなさんの愛情と
熱気をしっかり詰め込んでください。

次の議題にまいります。武道館のことです。
ビートルズは、1966年、中2のときに初めて見たんだけど、
その頃、派出所の裏のトタン屋根の家に住んでたのね。
で、親父は警察官だったから貧乏ではなかったんだけど
節約しないといけなかったの。テレビは、その頃、
モノクロだったか、カラーだったか忘れたけど、古くて、
長い間かけとくと、垂直同期が斜めの線になってしまって
見えなくなっちゃうのね。で、今日はいよいよビートルズの
放送だという日の朝に、『おかーちゃん、今日は1日中
テレビつけちゃダメだよ。』とか言って学校へ行ったのね。
放送が始まるときに、ちゃんと映るように…って祈りながら、
スイッチを引っ張ったら、ぽわ〜んと出てきて、
『あ〜、ここが武道館か。』って思ってね。

また前座が長いの。今日、その時の前座の関係の方、
いないですよね?前座が長くてね、あとはあっという間に
終わったの。で、オレは、あのポールのマイクがずれていくのが
気になってね、あっこ行って直してあげたいって思ってました。
そのとき、ビートルズは下手だなって思ったの。ていうか、
オレの思っていたビートルズのサウンドとは違うなと思ったのね。
なまいきな少年だったと思うけど、あと幼な心に
テレビとロックミュージックのマッチングは悪いと気づいたのね。
という幼児体験が残りました。

74年にプロになり、79年ぐらいから全国をたくさん回り始めた
けど、どこも満席にならないのね。帯広と熊本だけはいっぱいに
なってたんだけど、他はならなくて。で、姫路でやってたときに、
イベンターの夢番地の社長が『何かインパクトのあることを
やろう。武道館やろう。』って、『え??』。
『天井まで崖を作って、その途中にステージを作って、
ドライアイスを流してまるで滝の途中で歌ってるようにやろう』って。
よく見ると、ワイン2本も空いてるの。
『なんだ、よっぱらってんじゃん。」

武道館をやることになって、やるって言ってもみんな信じて
くれないのね。ラジオで話したときも、今までの武道館の
最低の入りは前から4列目までだよって言われたりね。
まあ、渋谷公会堂でやってる者が急に東京ドームで
やるみたいなもんだからね。
でも、アリーナだけでもいっぱいになったらいいやって。

あ、今日はじめて来てくれた人ってどれくらいいますか?
はじめてのコンサートが、こんな隙だらけでごめんね。
ま、いつもこんな感じです。
じゃ、もう何度も来てやったぞって人は?
20年前の武道館も来たって人は?少なくとも二十歳以上ですよね。

ということで、アリーナだけでもいっぱいになったらいいや
と思ってたんだけど、四国でコンサートやってたときかな、
6時間ぐらいでSold Outって聞いて、やばい…ほんとにやるんだ...って。

当日になり、その日は今日みたいに晴れててね、そのときオレは
狛江ってところに住んでたんだけど、そこからゴキブリ色のね、
茶色のカローラで、東急の2階の喫茶店でメンバーと待ち合わせ
したんだけど、緊張してね、楽屋で食べれなくてね、
4曲目ぐらいでもう酸欠になって、これで最後までやれるの
かなって。でも、ほとんどライブのことを覚えてないのね。
それぐらい思い出深い何も覚えていないライブでした。(笑)

以上、浜田省吾の武道館物語、おわり!」


「では、メンバーを紹介します。
(ストリングスの4人を紹介)
女性とツアーに出たのは始めてだったので、どうなるかと
思ったんだけど、彼らは(ほんとに“彼”と省吾は言いました)、
オレ達以上に、ロックンローラーな心を持っています。

(キーボードの福田さんを紹介)
2001のツアーでは、80曲以上の曲をレパートリーとして
演奏してるんだけど、そのうちの半分以上がストリングスの
演奏が入っていて、そのアレンジメントを全部担当してくれました。
今は、SONYのプレイステーションのソフトの開発もやっています。
なんとそのゲームの主人公は浜田省吾です。

(古村君を紹介)
1982年の終りくらい、倉敷からだったかな。。参加してくれた
もう、いろんな楽器、サキソフォーン、フルート、ギター、パーカッション
ほかにもいろいろあるけど、代表してサキソフォーンと紹介します。

86年に、ソロになって10年目で初めてチャートで1位をとった
アルバム、J.BOYから、小島さんのエレクトリックピアノを
フューチャーして演奏します。」

15 もうひとつの土曜日

ここでバラードが終り、聴き慣れた前奏でみんな立ち上がりました。
前奏途中で、パーン!!という音と共に、ステージ前方5箇所ぐらいで
火薬を使った(?)炎が一瞬光り、煙となりました。
野外だとよくあるけど、ステージでは久しぶりですよね。

16 A NEW STYLE WAR
17 愛の世代の前に
18 DANCE
19 境界線上のアリア
20 MONEY
21 J.BOY
22 家路

家路はとても好きな曲なんです。今日は特に省吾が
この20年を振り返ったりしてたので、私も一緒に
省吾を追いかけ、省吾の歌を聴き続けてきたこの20年を
振り返ったりして、ちょっとこの曲で胸のあたりが
ぐっと来てしまいました。

省吾の、「ツアーはひとまず終わりますが、俺たちの音楽の
旅はまだまだ続きます。みんなの人生の旅が続くように。。。」
という挨拶で、本編が終了しました。 


-アンコール-

アリーナツアーと同じように、当日の省吾の会場入りの様子や、
会場前にいる人たちのメッセージが映像で流れました。
省吾は、「20年前の昨日、ここ武道館でコンサートをやった」
みたいなことを言ってましたが、「20年前の明日」の間違いですね。

  そして、これまたアリーナツアーと同じように、楽屋から通路を
歩いてステージに向かう省吾の姿が映され、ステージ下手から
省吾が登場しました。
  今日は、茶色っぽい縦のストライプ(が入ってるかな?)のシャツを
白いタンクトップシャツの上にはおり、
いつものように薄い色のジーンズ姿です。

「今日はセンターステージはありません。作ると、スタンドの人から
見えなくて意味が無いということで。」
メンバーが省吾と並んで座って演奏していました。
ピアノの小島さんは自分の位置に、その右にアコーディオンを
手にした福田さん、そして古村君、省吾、町支くん、岡沢さん
だったかな。


1 ラストショー

 「武道館が決まって、武道館に向けて新しいアルバムを作らないと
ということで、2週間で作ったアルバムの中の曲です。」

2 悲しみは雪のように

 「浜田省吾、初めてのヒットシングルとなりました。テレビって
すごいよね。っていうと、陣内君思い出すんだよな。
(とテレビ放送での陣内さんのセリフをマネ)

もう10年ぐらい前なんだよね。保奈美ちゃんかわいかったよね。
ちょうど30代の終りで、 オレは精神的に落ち込んでてね、
今で言ううつ状態になってて、旅に出たりして、
でも、売れたから出演者の人とか、ディレクターの人とかに、
御礼の手紙を出したわけ。保奈美ちゃんにも。
そしたら、返事が来てね。嬉しかったんだよね。
ほんと、かわいいよねー。結婚しちゃったけど。」

74年にプロになって、愛奴としてはじめて、でも、
だんだん音楽性が違ってきたりして、
自分もドラムを叩いてたんだけどうまくなかったし、
ソングライターになりたくて、みんなと別れて、
ソロで最初のアルバムを作ることになったんだけど
どうして、「二人の夏」とか「恋の西武新宿線」のような曲を
作れないの?売れないよ。とか言われたけど、自分は
ロックなアルバムにしたくて、最初のアルバムは
ハードな曲を並べたのね。この曲は最後にできた曲なんだけど
これでアルバムができるってみんなが喜んでくれました。」

 
3 路地裏の少年

「アンコール最後の曲になりました。
(会場から「え〜〜!!」という声)
みんな決まったように「え〜!」って言うんだね。」

前奏でいつものように「演奏旅行だよ」と一言。


4 演奏旅行 

今日の演奏旅行は、矢野さん、岩戸さんのバイオリン入りでした。

しばらくの拍手の後、省吾がまた下手から登場。
下手ステージ脇で、ギターを肩にかけ、ハーモニカを
用意しているのが首から上だけ見えていて、ちょっと
おかしな感じでした。(^^)


5 Midnight Blue Train
6 ON THE ROAD

ここでまた省吾はバックステージへ。
しばらくの拍手の後、また下手から登場です。
  「20年前の明日もこの曲をラストに歌いました。そのとき、
ここでこんなことを言ってました。
はずかしいんだけど(くさいんだけど・・って言ったのかも。)、
『素敵な夜をありがとう』(会場内わきましたね)
どうもありがとう。」


7 ラストダンス 

 ミラーボールが回る中、省吾と会場が一緒にラストの曲を歌いました。
最後、会場だけでの合唱もみんなの声が大きくて、素敵でした。

また、最後に省吾が両手の指を使って、四角を作り、そこを覗くふりを
したので、会場の様子を切り取ってるのかと最初思ったのですが、
実は、カメラのシャッターを切っているふりをしているのでした。
「省吾が写真撮ってくれてるんだー」と思ったら、それに続いて、
省吾は親指で自分の左胸をトントンと。
それは、今日のこの会場の写真を自分の胸にいつまでも収めておきたい
って、そういうことですよね。省吾の思いがとても嬉しかったです。

今日はステージ上から、何度もメンバーやスタッフ、そして
ずっと応援してくれたオーディエンスに・・・と感謝の言葉や
拍手がありました。自分を表彰するということもしていましたが、
関係してくれた人への感謝も同時に見せていたし、
省吾が本当にいろんな人に感謝の気持ちを持って、
この武道館をやったのだということが、とてもよく伝わってきた
ように思いました。また、ドラムをアリーナツアーの途中まで担当してきた
大久保さんの名前も、メンバー全員の名前を読み上げたときに入っていました。
今日は、ステージ上に本人は来ていませんでしたが、
一緒にON THE ROAD 2001のツアーをやってきたメンバーとして、
省吾は紹介したのでしょうね。

また、逆に、メンバーの紹介の時に、会場からの拍手も
いつもよりとても長くて、オーディエンス側も、今までのツアーに
感謝してお疲れ様!って気持ちがあふれていたと思います。
(長い拍手のために、メンバーが拍手を受けながら芸をしないと…
みたいな雰囲気になってましたね。^^ )

記念すべき武道館のコンサートに参加できて
本当によかったと思います。
会場入口でもらった、ポスターとメモリアルチケットを
この記念になるものとして大切にしたいと思います。
そして、夏に発売されるという2001のツアーと武道館の映像を
楽しみにしたいです。



翌日1月12日の朝日新聞に、全面広告が載っていました。
内容は、感謝の言葉と、田家さん・古矢さんの感想など、そして、
ON THE ROAD 2001 の全スケジュール表。
これからも省吾は走り続けると書かれていました。(^^)
私も、これからも応援し続けていきたいと思います。



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